2016年5月31日火曜日

マスターの恋ばな⑧-再会編ー



僕の恋ばな第8弾です。

お時間のある方は、読んでみてください。





それからの僕は、覇気のない毎日を過ごし続けた。

飲みに行くこともなかった。

笑える気分でなかったからだ。

カラオケにも行かなかった。

騒ぐ気分にもなれなかったからだ。

好きだった競馬もやらなかった。

燃え上がる情熱すら、沸いてこなかったからだ。

そう、何をしても、何を見ても、何も感じない

無気力、無感動な人間へと、僕は変わってしまっていた。

闇雲に、虚しい日々を過ごし続けていた。

そして、ひたすら優美からの連絡を待った。

待ち続けた。

しかし半月が過ぎても、一ヵ月を過ぎても、彼女から連絡が来ることはなかった。



待っている間は、僕にとって辛い日々の繰り返しだった。

僕は、次第に壊れていく自分を感じていた。

気付くとそんな僕は、彼女が夫に抱かれているのではないかという、強い猜疑心まで抱くようになっていた。

胸の奥が、どんどんと苦しくなっていった。

追い込まれてもいった。

そして、追い込まれた僕は、またしても過ちを犯してしまうのだった。


僕は待った。

自分なりに、待ったつもりだった。

我慢したつもりでもいた。

でも、一ヵ月という時間は、僕には長すぎた。

あまりに長すぎた。



その日、残業を終えた僕は、駅までの帰り道に、公衆電話に立ち寄った。

そして、何かに取り憑かれたように、ボタンを押していた。

そう、どうしても優美と話がしたかった僕は、気付けば彼女の自宅に電話を掛けているのだった。



その時の僕に、後先の考えなどある筈もなかった。

彼女に会いたい・・・ 彼女の声が聞きたい・・・

ただ、その思いだけだった。



「はい、西岡です」

運よく、彼女が電話に出た。

「も、もしもし・・・俺だけど・・・分かる?」

「はい」

随分と、冷たい口調だった。

近くに、旦那の西岡さんがいると思った。

でも、一応訊いてみた。

「今・・・旦那さん・・・いるんだよね・・・?」

「はい」

彼女は、やはり冷たくそう言葉を返すだけだった。

「ご、ごめん・・・掛けちゃいけないのは分かってたんやけど・・・どうしても、どうしても話がしたくて・・・」

「はい」

彼女は何を訊いても、「はい」しか言わなかった。

「ホントにごめん、もう二度と掛けないから・・・」

彼女の冷たい返答に、僕はたまらずそう口にしていた。

でも必死に思い直して、勇気を振り絞ってこう言った。

「あの・・・短い時間でもいいから・・・会えないかな・・・」

僕はもう、しどろもどろだった。

「はい、分かりました。では、失礼します」

しかし、そんな僕の言葉にも、彼女はやはり冷たくそう言って、一方的に電話を切った。

最後の最後まで、決して微塵の隙も見せることなく、完璧なまでに、他人を演じきった。



僕は、この時受け取った。

そして、気付かされた。

それが、彼女が出した答えだと。

不倫という汚れた関係の、今まさに終焉の時を。



電話が切れた後も、僕はその場から動くことが出来ないでいた。

受話器を握りしめたまま、暫く立ち尽くしていた。

僕は、自らの犯した愚かな行為に今さら気付き、ただただ後悔するだけだった。

「プー、プー・・・」

そして、その通話音だけが、いつまでも耳にこだまして離れなかった。


僕は、彼女を裏切った。

そして、再び傷つけた。


そう、僕は、待つと決めた筈だった。

彼女が、僕に会いたくなる、その日まで。

僕は、不倫という絶対領域のルールの中で、最大の過ちを犯した。

そして、それは、簡単に許されることの出来ないほどの、大きな過ちだった。



その日以来、僕が彼女と連絡を取ることはなかった。

当然のように、彼女から連絡が来ることもなかった。

僕らはこの日を境にして、まさにその関係に終止符を打とうとしているのだった。



すべては、僕が優美を愛しすぎたことが原因だった。

彼女の存在が、僕の中で大きくなり過ぎてしまったからだ。


思えば、左遷を告げられたあの日、僕は会社を辞めることも少しは考えた。

でも、その思いは、すぐに消え去った。

優美の存在があったからだ。

彼女の存在があったから、彼女が傍にいてくれたから、その思いはすぐに消え去った。

でも、彼女が傍にいない今、彼女を失ってしまうかもしれない今、僕は会社にいるその存在意義すら、無くしてしまおうとしていた。

新しい配属先で、何とか頑張ろうともした。

自分なりに、努力もしようともした。

でも、優美とのことを少しでも忘れさせてくれるほどに、僕の仕事への情熱が再び燃え上がることは悲しくもなかった。

自分に、嘘はつけなかった。

僕の小さなプライドが、それを邪魔した。

配属されて二か月弱、僕はデータ整理を黙々とこなす日々を過ごし続けていた。

ただ、ひたすら・・・。

だから、僕にはもう、居場所がないように思えた。

行き場さえ見失っていた。

そして、行き場を見失った僕が、最後に辿り着いた場所は、杏子だった。

杏子しか、いなかった。

僕は今まで言えなかった真実を、遂に彼女に語り始めた。


「俺、二ヶ月前、部署変わったって言ってたよね」

「あー、うん」   

「あれ、実は、半分左遷されたようなもんだったんだよね。格好悪くて、ずっと言えなかったけど・・・」

「えっ・・・」

突然の告白に、彼女はただただ吃驚していた。

「それで、今いる部署は、正直あんまりやりたくない仕事なんだよね」

僕は、すべてをさらけだした。

「そうだったんだ。最近少し元気なさそうだったから、なんかあったのかなぁとは思ってたんだけど、そんなことがあったんだ」

「うん・・・」

「でも、そんなのすぐ言ってくれたらよかったのに。私に格好つけてどうすんの」

彼女は、少し怒るかのようにそう言った。

「ごめん・・・」

僕は、今にも泣きそうな声になっていた・

「でも、本当にやりたくない仕事だったら、無理して頑張る必要はないんじゃない。生きてれば、確かにいろいろと我慢する時があるかもしれないけど、人生は一度しかないんだから。もし本当に嫌だったら、最悪こっちに帰ってくればいいよ。そしたらそん時は、一緒に仕事探そう。やりたいこと、一緒に見つけよう」

彼女は、最後には諭すかのようにそう言った。

しかしその言葉の数々は、傷ついていた僕が、まさに待っていた言葉ばかりだった。

ずっとずっと、待っていた。

僕の目は、もう今にもこぼれんばかりの涙で溢れているのだった。


思えば、左遷を告げられたあの日以来、僕は誰にも悩みを打ち明けることなく、誰にもすがることなく、毎日気丈に振舞って生きてきた。

どんなに辛くても、どんなに落ち込んでも、決してそれを他人に見せるようなことはなかった。

でも、僕はそんなに強い人間じゃない・・・

僕は誰かに慰めてもらうのを、優しい言葉を掛けてもらうのを、本当は、ずっとずっと待っていたんだ。

深い深い闇の中であてもなく彷徨い続ける僕に、杏子がそっと手を差し伸べてくれた。

悲しみで凍てついた心に、そっと火を灯してくれた。

僕は、杏子に救われた気がした。

行き場さえ、見つけた気がした。

「とりあえず、今週末の連休にでも帰ってくれば?これからのこと少し話しよう」

彼女は、そう続けた。

「うん、そうだね・・・」

彼女の優しい言葉に、僕は躊躇なくそう返事をしているのだった。

そして、迎えた11月最終週の金曜日、仕事を終えた僕は、その足で杏子の元へと飛び立っていった。




「おかえり」

満面の笑みで、杏子が僕を出迎えた。

「ただいま」

彼女の笑顔に連られるように、思わず僕も笑ってそう返した。

あの日以来、久々に会った彼女は、その笑顔から随分と体調も良さそうに見えた。

そんな彼女の姿を目の当たりにした僕は、沈み切っていた心が、瞬時に高まっていくのを感じた。


その後、すぐに杏子の自宅に戻った僕らは、その夜いろんな話をした。

それまでの長い空白を埋めるかのように、何時間も何時間も夢中で語り合った。

二人は、溢れんばかりの笑顔に包まれた。

そして、夜が更けると、僕らは久し振りに躰を重ね合った。

激しく、激しく。

何度も、何度も。

僕は、彼女の深い愛に包まれて、見失っていた自分を取り戻そうとしていた。

気付くと、そんな彼女の温かい胸の中で、安らかに、穏やかに、いつしか僕は深い眠りに就いているのだった。




翌朝は、やけに気分よく目が覚めた。

こんなにぐっすり眠れたのは、久し振りな気がした。

窓を開けると、澄み切った青空がどこまでも限りなく広がっていた。

この時期にしては珍しいくらいの、暖かな陽気だった。

そんな陽気に誘われるように、僕らは午前中早くから外出をした。

まずはショッピングをして、欲しかった服を買い漁った。

昼食を洒落たレストラントで済ませると、ボウリングにカラオケにと、遊び回った。

僕はそれまで溜まっていた何かを発散させるかのように、とにかくはしゃぎまくった。

その姿は、何かを吹っ切るかのようでもあった。


その後自宅に戻ると、今度は杏子の手料理を思いっきり堪能した。

それは、高級レストランに負けないほどの味だった。

そしてその食事を済ませると、僕らは再び躰を重ね合った。

心ゆくまで、愛し合った。

二人はまるで、付き合い始めた頃に戻ったかのようだった。

僕は、彼女と過ごしたこの二日間で、見失っていた自分を完全に取り戻しかけていた。



さらに、彼女は、別に僕がそう言った訳でもないのに、職探しも始めてくれていた。

「すぐに答えは出せないけど、これからゆっくり考えるよ」

僕は特別言葉にはしなかったが、感謝をせずにはいられなかった。

「じっくり考えてから、答えは出せばいいから」

彼女は優しい微笑みを浮かべながら、そう言葉を返した。

「じゃあ、次は正月休みに」

「うん、待ってる」

そして、笑顔の彼女が見守る中、僕は大阪へと飛び立っていった。


飛行機の窓から、心穏やかに僕は絶景の夜景を見つめていた。

その姿は、大阪から飛び立つ二日前とは、明らかに別人だった。

そしてこの時、会社を辞めて杏子の元へ戻ることが、僕の選択肢の大きな一つになっているのだった。





季節は、寒さがやけに肌に沁みるようになってきた、12月を迎えた。

僕の仕事はと言うと、相変わらずだった。

データ整理やレポート作成を黙々とこなし続ける僕だったが、さすがにそのことに少し苛立ちを隠せないでもいた。

優美とはあの日の電話以来、社内で会うことはなかった。

連絡を取り合うことも、勿論なかった。


しかし、僕はこの時は、本当は、彼女とすごく会いたかった。

会って、あの電話の一件のことを、謝りたくて仕方なかった。

でも、彼女に嫌われてしまったと、どうしても思わざるを得ない僕は、彼女に会いに行くことも、連絡を取ることも、やはり出来ないでいた。

彼女にこれ以上を嫌な思いをさせたくない、迷惑を掛けたくない、すべてはそんな思いからだった。

そして、僕はこの時、すでに彼女を諦める努力を始めてもいた。

それは勿論、簡単なことではなかった。

簡単な筈がなかった。

でも、これ以上彼女を傷つけたくない・・・

そう強く思わざるを得ない僕は、そうするしかないと思った。

彼女は人妻なんだ・・・

元々、手の届くような存在ではないんだ・・・

そう自分に、必死に言い聞かせてもいた。

握りしめた写真の中には、満面の笑顔の彼女がいた。

でもその笑顔を、もう見ることはないと思った。

気付けば僕の頬を、一滴の涙が濡らしていた。




そんなある夜、ひたすら辛い毎日を過ごし続けていた僕を、坂口君が突然訪ねてきた。

「今週末の土曜、会社の友人のライブがあるんですけど、一緒に行きませんか?」

坂口君は部屋に入るなり、そう訊いてきた。

「今週?多分大丈夫やけど、俺の知ってる人いるの?いなかったら、俺行ってもつまんなくない?」

すると、坂口君は、意味ありげな笑みを浮かべたかと思うと、思いもかけない言葉を告げてくるのだった。

「そのバンドには、多分いないと思います。でも、優美ちゃんのバンドも出ますよ」

「・・・」

僕が、すぐに、坂口君に言葉を返せる筈がなかった。

瞬時に、胸の鼓動が激しく波打つのを感じた。

駆け足で、様々な思いが、僕の脳裏を駆け抜けてもいった。

それでも、動揺を必死に隠しながら、

「考えとくよ。ただ、返事はちょっと待ってて・・・」

何とかそう言った。

ただその声は、明らかに普段の僕ではなかった。

唇は、微妙に震えてもいた。

「了解です。また、近いうちに顔出しますね」



坂口君が部屋を出て行った後も、僕の動揺がすぐに収まることはなかった。

いや、さらに激しくなってもいた。

当然のように、優美のことが脳裏に浮かんでいた。

すると、それまで抑えていた彼女への思いが、ここで一気に込み上げてきた。

そして、様々な想いが、激しく僕の脳裏を激しく掻き乱し始めた。


優美に会いたい・・・

でも、優美はもう、僕に会いたくないのかもしれない・・・

さらに、僕が行けば、優美に迷惑が掛かるかもしれない・・・

でも、何を考えても、どれをどうとっても、この想いだけはどうしても消し去ることが出来ないでいた。

優美に、一目会いたい・・・


だから僕は、いつまでたっても答えを出せないでいた。

悩んだ。ずっとずっと、悩み続けた。


そして、迎えた土曜日、僕は坂口君とライブ会場にいた。

僕は、その答えを出していた。


優美に会いたい・・・   

優美の声が聞きたい・・・


僕に、その気持ちを抑えることは、どうしても出来なかった。

どうしても・・・

だから、僕は、優美に会いに行った。




ライブ会場は、寮と会社のちょうど中間くらいの駅のすぐ傍にあった。

会場は思ったよりも狭く、百人程で満員になるくらいの広さだった。

天井もやたらと低く、僕は異常なほどの圧迫感すら感じていた。

それでも、十組ほどのバンドが参加するということで、そこは隙間もないくらいの人で混みあっていた。

そんな人混みに圧倒されるように、僕と坂口君は、いつしか会場の隅に押しやられていた。

坂口君の知り合いのバンドが2番目で、優美のバンドが5番目の登場順だった。

ライブが始まると、爆音を奏でたロック系のバンドが延々と続いた。

スポットライトが目まぐるしくステージ上に浴びせられ、その光景は、僕の目には異様にすら映っていた。

僕は、優美とのこともあって、次第に憂鬱になり始めていた。

ここに来てしまったことを、少し後悔し始めてもいた。それでも、

これなら、優美に気付かれることはない・・・

そう確信した僕は、坂口君と最後列でステージを見守った。

そう、僕は、ここに来ていることを、絶対に優美に気付かれたくなった・・・

彼女の姿が、ほんの少しでも見れれば良かった。

彼女の声が、ほんの少しでも聞ければ良かった。

本当に、ただそれだけで良かった。

そして、彼女に決して見つかることなく、初めからそこに存在しなかったの如く、そっと消えるつもりだった。

そうして待つこと一時間あまり、遂に優美のバンドが登場した。

ど派手な衣装を纏った優美が、颯爽とステージ上に現れた。

すると会場は、それまでで一番の盛り上がりを見せ始めたように感じた。


僕は、彼女を見た瞬間から、全身の震えが止まらなくなった。

それまでの様々な想いが、堰を切ったようにも込み上げてきた。


周りの歓声は、それからも大きくなる一方だった。

でも、僕の耳には、一切届いていなかった。

彼女の歌声だけが、ただ僕の耳には聞こえていた。

ただ、彼女の姿だけが、僕の視線の中にあった。

僕の瞳は、いつしか溢れんばかりの涙で潤んでいるのだった。



それからも彼女は、ステージ上で躍動感溢れる姿を見せ続けた。

その透き通った歌声を、会場中に響かせ続けた。

その姿は依然と何ら変わることなく華やかで、煌びやかな輝きを放っていた。


眩しかった・・・  本当に眩しかった・・・

僕にはそんな彼女が、本当に眩しくて仕方なかった。


何故だか、途端に虚しくなった。

無性に、情けなくなった。

やるせない気持ちにもなった。

そんなふうに輝き続ける彼女に対して、自分がちっぽけな人間に見えて仕方なかったからだった。


「そろそろ、帰ろっか・・・」

気が付くと彼女のバンドのラストの曲が終わるのを待たずして、僕は坂口君にそう告げていた。

「えっ、優美ちゃんに挨拶していかなくていいんですか?」

坂口君は、少し吃驚したようにそう訊いた。

「うん・・・、初めからそのつもりやったし・・・」

僕は、冷たくそう返事をした。

「なら、僕ちょっと友達に挨拶だけしてきますね」

思わぬ僕の言動に少し戸惑ったのか、坂口君は、焦るようにそう言った。

「あぁ、じゃあ先に外で待ってるわ」

そして、僕は一足先に会場の外に出た。

ただ、僕の耳には、会場中に響き渡る彼女のその透き通った歌声が、いつまでも哀しくこだまし続けた。



会場の外は、中の喧騒とはうって変わるように静かだった。

僕は、思わず空を見上げ、大きく深呼吸をした。

でも、次の瞬間には、たまらず大きなため息を漏らしてもいた。

正直、こんな思いをするなんて、思ってもみなかったからだった。

優美が、もの凄く遠い存在に見えて仕方なかった。

彼女と愛し合った日々でさえ、全ては幻だったかのように思えてきた。

僕は、今日この場に来たことを、いつの間にか完全に後悔しているのだった。


ただ、その時だった。

背後から、走ってくる足音が聞こえてきた。

坂口君だと思った僕は、ゆっくりと振り返った。

吃驚した。

とにかく吃驚した。

そこには、なんと優美がいた。

僕は、自分の目を疑った。

でも、間違いなく彼女だった。

彼女は焦って出てきたかのように、さっきのど派手な衣装を纏ったままだった。

僕はすっかり固まってしまい、しばしその姿に見とれてしまっていた。



「なんで声掛けてくれへんかったの?」

彼女は肩で激しく息を切らしながら、そう訊いてきた。

「あっ、いや・・・」

僕は尚も吃驚したままで、すぐには言葉を返せなかった。

「けど、見に来てくれてたんや」

と、今度は急に笑顔になって、そう訊いた。

「あっ、あぁ・・・、うん・・・」

僕は、言葉を詰まらせた。

「知り合いのバンドが出てたからね」

そして、思わずそう嘘をついた。

僕にはその時、本当は優美を見に来たなんて、絶対に言えなかった・・

絶対に・・・。


「けど、来てるの分からなかったやろ?坂口君にでも聞いたの?」

だから、そう言って、すぐに話を逸らした。

「ううん、分かったよ。あっ、いるって思った。で、終わったら話でもしようと思てったら、もういないんやもん。そしたら坂口君がいて、訊いたら、もう外に出たって言うから」

彼女の言葉は、さらに僕を驚かせた。

「そうやったんや・・・ごめんね。でも、忙しいと思ったから・・・」

僕は嬉しいのと気まずいのとで、もう頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。

でも、それを悟られないようにと、またすぐにこう言った。

「けど、あの歌、全部オリジナルやろ?すごいね」

「ホンマに!ありがとう!」

彼女は、心から嬉しそうにそう言った。

僕らは、笑顔に包まれた。

そして、少しぎこちないながらも、あの仲が良かった頃のような時間を取り戻していた。

もう二度と取り戻せないと思っていた、あの輝いてた時間を。



「すいません、遅れました」

と、ここで、坂口君が会場から小走りで出てきた。

僕らは急に気まずくなって、話すのを止めてしまった。

「じゃあ、私行くね」

優美は少し慌てるようにそう言うと、手を振りながら会場へと戻っていった。

「あぁ・・・、うん、またね」

僕も焦るようにそう言うと、不自然に手を振って彼女を見送った。

「やっぱ、可愛いっすよね」

彼女の後姿を見つめる、坂口君が呟いた。

「あぁ・・・」

間の悪い坂口君に少しむっとしながらも、僕も彼女の後姿をいつまでも見つめていた。

その姿が見えなくなるまで、いつまでも、いつまでも・・・。


それからの僕は、しばらくの間、抜け殻状態だった。

突如舞い降りてきた、彼女との空間に、いつまでも酔いしれていた。

さっきまでの後悔は、遥か彼方に飛んでいってしまっていた。

そして、来た時とはうって変わって、笑顔で会場を後にしているのだった。

「なんか美味いもんでも食ってから帰るか。奢るよ」

すっかり晴れ晴れとした気分になっていた僕は、帰りの電車の中で、坂口君相手に思わずそう口にしているのだった。

その食事の間中、僕がすこぶる上機嫌だったのは言うまでもない。



その夜、部屋に戻った僕は、ベッドに仰向けになりながら、今日一日の出来事を振り返っていた。

そして、随分と満足げな顔をしながら、こんなことを考えているのだった。

優美に会いに行って、良かったと・・・。

思えば、僕と優美との時間は、あの電話の一件以来、ずっと止まっていた。

ずっと、止まったままだった。

そして、そんな辛い状況の中で、僕はここ数ヶ月、ずっと苦しんで過ごしてきた。

でもこの日、久し振りに彼女と会えて、しかも彼女と話までできて、そんな止まったままだった時間がようやく動き出した。

僕は、長らく苦しんでいた呪縛から、今日、遂に解き放たれた。

すると、すっかり楽な気持ちになった僕は、ただただこんなことを考えているのだった。

今ならきっと、彼女のことを諦められると・・・。


そう、僕は今さら彼女とやり直したいだなんて、そんな大それたことは、微塵も思っていなかった。

彼女との関係が、このままうやむやに終わるのが嫌なだけだった。

でなければ、彼女とのあの輝いていた時間すべてが、悲しい想い出になってしまうからだ。

そして、僕が今諦めさえすれば、彼女をこれ以上傷付けなくて済む。

今なら、不倫と言う汚れた関係を、純愛として残すことも出来る。

本気で、そう思っていた。


だって、元々この恋は、魔法にかかったような、奇跡的な恋だったのだから・・・


そんなふうに考えられるようになった僕は、思いのほか清々しい気分になっているのだった。

僕は少しだが、前に進めた気がした。





























恋ばな第8弾、再会編いかがでしたか?

物語は、遂にクライマックスへと進んでいきます。

ラスト2話、皆さんぜひご期待下さい!










































































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