2016年10月28日金曜日

マスターの恋ばな⑨-決意編ー



僕の恋ばな第9弾です。

お時間のある方は、読んでみてください。







その後、優美とは何もないまま、静かに時は流れ、季節はクリスマスシーズンを迎えた。

街には、幸せそうなカップルや、家族連れがそこかしこと賑わい、笑顔や笑い声で溢れかえっていた。

そんなある夜、仕事を終えた僕は、ひとりデパートのブランドショップに立ち寄っていた。

クリスマスプレゼントを買うためだった。

そして、正月休みに入った12月末、僕は再び杏子の元へと飛び立って行った。



「ただいま」

空港で出迎えた杏子相手に、僕は思いっきりの笑顔でそう言った。

「おかえり」

しかし彼女は軽い笑顔でそうとだけ言うと、、意味ありげな顔でこう続けるのだった。

「今から、この前話した会社に行こう」

「えっ」

「もう話つけてあるから」

「今から・・・」

彼女は大きく頷いた。

彼女が言うその会社の大体の話は、確かに電話で聞いてはいた。

でもあまりの唐突な話に、正直僕は戸惑わざるを得なかった。

「ちょっと、早すぎない?」

だから、すぐにそう訊き返した。

「まぁ、とりあえず話聞きに行くだけだから。今日じゃないと、明日から会社も正月休みに入っちゃうし。大丈夫、黒田社長はすごくいい人だから」

だが焦る僕とは対照的に、彼女は淡々とそう答えた。

「着替えなくていいの?」

そう訊く僕にも、

「そんな堅苦しいとこじゃないから」

彼女はあっさりとそう答えた。

こうして僕は十分に納得がいかないままも、彼女とその会社に向かうはめになった。

杏子にはめられた・・・そうも思ったが、内心はまんざらでもないのだった。




ほどなくして僕らは、街中にあるその会社に到着した。

塗装の剥げも所々に見られるビルのテナントの三階に入ったその会社は、建築関係の小さな設計会社だった。

想像していた感じとは、いささか違った。

「おう、来たか」

恐る恐る中に入ると、一人の男性が笑顔で僕らを出迎えた。

普通のサラリーマンとは到底思えないその男性は、体格がすごく立派で、見るからにバイタリティーに溢れていた。

杏子が目で、その男性が黒田社長であることを僕に伝えた。

「はっ、初めまして・・・」

僕は慌てて、そう挨拶をした。

「まぁ、そう堅くなんなや。とりあえず中入って」

さらに顔を崩して、黒田社長はそう言うと、すぐさま僕らを応接室に案内した。

「ね、いい人でしょ」

向かう途中、杏子が僕の耳元でそう囁いた。

僕はほっとした表情を浮かべながら、小さく頷いた。

そして案内された応接室で、僕らは始終和やかな雰囲気のまま話を進めていった。



話を聞くと、会社は黒田社長が若い時分に脱サラをして、一人で立ち上げた会社だった。

社員は三十代前半の若い人ばかり、僅か七人程。

だが小さいながらも活気に溢れ、雰囲気がいいのは何となく分かった。

僕は、建築の設計に関してはズブの素人だったので、そんな不安も隠さずに訊いてみた。

すると、黒田社長は穏やかな顔つきで、

「誰もが初めは、分からないところから始まるんだよ。これから勉強をして、資格なり何なり取っていけばいいから・・・」

優しくそう言ってくれた。

僕はそんな社長の器のでかさに、迷わず敬意を払わずにはいられなかった。

さらにそこに、これからのやりがいを見つけられそうな気もした。

話は、それからもトントン拍子に進み、僕は何と、仮内定くらいのお話まで頂いた。

おまけに入社は、来年の四月からでもいいと言う。

僕にとって、何の不満もない話ばかりだった。

そして一通り話が終わると、社長は最後に熱くこう言った。

「やる気があるなら、すぐにでも来い。待ってるから!」

「はっ、はい」

圧倒的な社長の存在感に少々びびりながらも、僕はしっかりとそう答えた。

そんな僕の隣では、杏子がずっと満足そうな顔を浮かべていた。



家に向かう車中、僕はこれからのことをずっと考えていた。

そしてある程度の決意を、この時すでに固めてもいた。

黒田社長と会社にはそれくらい、僕を惹きつけるものがあった。

「行って良かったでしょう」

そんな僕の隣では、変わらず杏子が嬉しそうに会社や社長の話をあれこれ語っていた。


実はその会社は、彼女のお兄さんの紹介でもあった。

僕は彼女のお兄さんとも親交があり、少なからずお世話にもなっていた。

だから、僕はもう、後戻りできない状況にもある意味立たされていた。

でも、僕は、それでもいいかなと思っていた。

何故なら、僕は、とにかく前に進みたかった。

自分の居場所が、どうしても欲しかった。



「少し遅くなったけど、はい、これ」

その日の夜、僕は買っておいたクリスマスプレゼントを杏子に渡した。

「うわぁ、ありがとう。何だろう・・・?」

彼女は嬉しそうにそう声をあげると、僕が渡した手提げの付いた紙袋の中から、リボンで結ばれた小さな箱を取り出した。

「えっ・・・」

彼女は少し驚いた声を漏らしながら、そのリボンを丁寧に取ると、今度は小箱の中からさらに小さなケースを取り出した。

そして、そのケースを開けた瞬間、彼女は黙り込んだ。

さらにそれをゆっくりと手に取ると、しばらく見つめていた。

「ありがとう・・・」

しばらく経ってから、ようやく彼女はそう口にした。

かと思うと、いきなり静かに涙を流し出した。

僕がプレゼントしたのは、有名ブランドの指輪だった。

ずっと彼女が欲しがっていた。

彼女はその後も一時も涙を止めることなく、ただじっとその指輪を見つめていた。

そんな彼女をたまらなく愛おしく思った僕は、「貸してごらん」そう言って、彼女の手から指輪をそっと奪うと、それを彼女の左手の薬指にゆっくりと填めた。

そしてなおもひたすら泣き続ける彼女に、静かにこう告げた。

「俺、会社辞めるよ」

彼女が、言葉を返すことは無かった。

ただただ何度も、小さく頷いていた。

そんな彼女を、優しく、そっと、僕は抱き寄せた。



こうして、この日、僕は会社を辞める決意をした。

無論それは、優実との完全なる決別をも意味した。

でもこの時の僕に、もう迷いなどなかった。

ただひたすら、自らの決断を信じることにした。




正月休みを終えて大阪に戻った僕は、まず退社時期を考えていた。

あれこれ悩んだ結果、少しでも早いほうがいいと思い、三月を新しい就職先の準備期間にすべく、二月いっぱいでの退社を決めた。

退社にあたっては、最低でも辞める一ヵ月前に退職願いを提出する必要があった。

だがそれよりもまず先に、僕は退社する意を後藤係長に報告せねばならなかった。

ここが、一番のポイントだった。

そう、僕には円満に会社を辞める理由が必要だった。

期待して僕のことを取って頂いた課長や係長を満足させる正当な理由が、僕には必要だった。

本当の理由は別にあった。

でもその理由を、僕が言える筈もなかった。

だから僕は、また嘘をつくことにした。




迎えた、一九九三年の一月二十九日。

その日、僕は、普段より三十分程早く出社した。

後藤係長一人だけがその時間に会社に来ていることを、僕は知っていたからだ。

「おはようございます。係長、ちょっと話があるんですけど・・・」

席に着くや、僕は神妙な顔つきで係長の元へと歩み寄っていった

「なんや・・・、辞めるんか?」

係長は、いきなりそう言ってきた。

「え・・・、あっ・・・、はい・・・」

唖然とした。

言葉が出なかった。

「珍しく早く来たから、そんなことかと思ったわい」

係長は、事も無げにそう言った。

「すみません・・・」

うつむく僕に、さらに係長はこう続けた

「で、理由はなんや?」

「えーっと・・・」

僕が、一瞬言いにくそうにすると、

「うちの課の仕事が嫌で辞めんのか?」

係長は、すかさずそう訊いてきた。

「いえ、それは違います」

僕ははっきりとそう答えた。

「じゃあ、なんや」

「えーっとですね、非常に言いにくいんですけど・・・、自分ですね・・・、地元に長く付き合ってる彼女がいましてですね・・・、こっちに連れてこようかなとも考えてたんですけど・・・、実は彼女、体があまり丈夫な方じゃなくてですね・・・、こっちじゃあまり環境が良くないということで、彼女の両親の反対もあって連れてこれないんですよ。そうしたらですね・・・、必然的に僕が帰るしかなくなった訳でして・・・、今の僕の仕事状況なら、新プロジェクト前ということもあって、時期的に迷惑が掛からない
かなともと思いまして・・・ですね・・・、それも含めて決めました。」

僕は何度と言葉を詰まらせながらも、何とかそう言い終えた。

ただその顔は、すっかり紅潮しきっていた。

手には、尋常とは思えないほどの汗も掻いていた。

係長はというと、その間、ずっと静かに聞いてくれていた。




そして、これが、考えに考え抜いた末に出した、僕の「嘘」だった。

無論、「仕事が嫌で辞める」なんて、死んでも口に出来なかった。

そんなこと、出来る筈もなかった。

これなら何を言われようと円満に退社出来る、引き留めようがないと、僕が必死でひねりだした苦肉の嘘だった。

彼女の病気を、さらには現在の仕事状況を盾にするといった、それは卑怯なやり方だった。

でも、この時の僕には、これ以外思いつかなかった。

いや、これ以上の完璧な理由は、他にはなかったと思う。



「次の就職先は、考えてあるんか?」

少し間を置いてから、係長が口を開いた。

「はい、小さいですけど、建築関係の設計会社を考えています」

「そうか・・・、そこまで考えてるんだったら、話は分かった。もう、留めても無駄だな」

係長は、酷く残念そうにそう言った。

「すみません・・・」

僕は、たまらず俯いた。

「じゃあ今日言いに来たってことは、二月いっぱいってことだな」

「はい、出来ましたら・・・」

「分かった。すぐに課長に報告しとくよ」

「すみません・・・。よろしくお願いします」

僕は最後にそう口にすると、深々と頭を下げた。

そしてバツが悪そうに、係長の元を離れていった。


僕は、すぐさま自分の席に戻った。

二人を、何とも言いようもない重苦しい空気が包んだ。

そんな空気にいたたまれなくなった僕は、トイレに行く振りをして部屋を出て行った。



僕は、その場に居れなかった。

こんなどうしようもない僕に期待をかけてくれた係長に、これ以上合わせる顔がなかったからだ。

僕は、トイレの窓から、たまらず天を仰いだ。

そして、係長に何度も何度も詫びていた。

そんな僕の心は、誰にも言えない嘘や隠し事で溢れて、もうパンク寸前だった。

胸の奥が、異常なまでに苦しかった。

でも僕は必死でそれを抑えて、悠然と偽善者を振る舞い続けた。

僕にはただ、そうする以外になかった。




三日後、二月いっぱいでの僕の退社が正式に決まった。

僕の退社は、しばらくは秘密だった。

一週間ほど経ってから、僕は、仲の良かった同期の連中数人にだけ、そのことを告げた。

「ホンマに・・・」

「寂しくなるね」

皆、突然のことに酷く驚き、悲しんでもくれた。

でも、僕の理由にそれなりの理解を示してもくれた。

「ホンマは仕事が嫌で辞めるんちゃうん?」

僕の本音を聞き出そうと、そう確信を突いてくる奴も中にはいた。

でも僕は、彼女の病気のみを理由に挙げて、それ以上を語ることはなかった。

本当の理由は、誰にも話さなかった。

もし本当のことを少しでも誰かに話してしまえば、それはそのまま係長の顔を潰すことになってしまうからだ。

すっかり汚れてしまった僕でも、最低限の常識だけは持ち合わせていた。


そして、優美には言わなかった。

田舎の彼女が理由で辞めるなんて言える筈もなかったし、また今さら言う必要もないと思ったからだった。




二月中旬の土日の休日に有給を重ねて三連休にした僕は、再び九州へと飛び立っていった。

仮内定を頂いていた例の会社に、就職の意を告げるためだった。

「こちらで、四月から働かせてください」

黒田社長相手に、力強く僕はそう言った。

「そうか。じゃあ待ってるぞ」

社長は、満面の笑みで熱くそう言った。

こうして、この日、僕の再就職が正式に決まった。

僕は、自分の進むべき道が決まったことに、随分とホッとしていた。

そんな僕の隣では、杏子が感極まった顔をいつまでも浮かべていた。

杏子は、この時、三十歳の誕生日をおおよそ一カ月後に控えていた。

この就職は僕以上に、二十代最後の彼女への最高のプレゼントとなった。

そして、この時、僕はこれからの人生をずっと杏子と共に歩んで行くことを、さらにしっかりと心に決めるのであった。




翌月曜日に出社すると、僕のデスクの上には大量のチョコレートが置かれてあった。

昨日はバレンタインデーで、僕が有給を取った金曜日に多分届けられたものだろう。

杏子からはその日、高価なスーツをプレゼントされていた。

一足早い、彼女なりの就職祝いだった。

そんなチョコレートやらは、当然義理と言う名の代物ばかりだったが、数だけは結構自慢できるほどだった。

「すごいね」

先輩達から、羨望の眼差しで見られた。

「でも全部義理だし、返すのが大変ですよ」

ただそう言いながらも、僕は少しばかりの優越感に浸っていた。


一つ一つ確認していると、その中にひと際目につく可愛い袋があった。

優美からだった。

瞬時に、胸の鼓動が騒め始めた。

僕ははやる気持ちを抑えるように、その袋を丁寧に開けた。

すると中には、可愛い小箱と共にメッセージカードが添えられてあった。

小箱には目もくれず、僕は恐る恐る、そのメッセージカードを取った。

そして、ゆっくりと開いた。

するとそこには、一言こう書かれてあった。


「 大好きだよ From  優美 」


その言葉を見た瞬間、僕は胸が締めつけられる想いでいっぱいになった。

同時に、激しい衝動が一気に襲っても来た。

苦しかった。

切なかった。

だって、やっとの思いで忘れることの出来た筈だった優美の存在が、土足で僕の中に踏み込んで来たからだ。

僕はもう、何が何だか分からなくなっていた。

何がなんだか。

そして、ただこの想いだけが、目まぐるしく脳裏を駆け巡っていた。


何でいまさら・・・  

もう遅いよ・・・


何度も何度も。

ぐるぐると、ぐるぐると。

気付けば僕の瞳は、今にもこぼれんばかりの涙で溢れていた。

そして、すぐにでも優美に会いに行きたかった。

すぐにでも。


でも、出来なかった。

出来る筈がなかった。

遅かった。

遅すぎたからだ。

そう、この時の僕には、もうどうすることも出来なかった。

僕は周りの視線など一切気にせず、いつまでも、ただいつまでも、そのメッセージカードを握り締めているのだった。




同じ日、僕の退社を課員全員が知ることとなった。

それは瞬く間に、会社中に知れ渡ることとなった

僕は昼休みになると、チョコレートをくれた女の子達にお礼を兼ねて会いに行った。

「辞めるんやってね。で、ホンマに結婚すんの?」

僕の顔を見るや、皆驚いた様子で一様にそう訊いてきた。

「うん、まぁ・・・。すぐにやないけどね・・・」

僕は苦笑いを浮かべながら、そう頷くしかなかった。

でもそんなことより、恐ろしい悲惨な状況が、手ぐすねを引いて僕を待ち構えていた。

そう、僕は男でもあるにも拘らず、「結婚退職」扱いになっていたからだ。

皆、僕の退職を悲しんでくれながらも、そのことについては笑うのを堪えきれない様子だった。

笑える気分でなかった僕も、自分の蒔いた種とはいえ、彼女らに合わせて笑うしかなかった。


だが、この事態が、僕に思わぬ心境の変化をもたらすこととなった。

優美にだけは、そう思われたくなかったからだ。

この話が、そのまま彼女に伝わるのだけは、どうしても嫌だった。

だから最後に、僕の本当の気持ちを知って欲しい、伝えなければならない、そう強く思った僕は、
もう一度ちゃんと会って話がしたい、そう思い直した。

「ちょっと話したいことがあるんやけど・・・」

意を決して、僕は彼女に電話を掛けた。

「うん、分かった・・・」

彼女は、暗い感じながらも、会うことを承諾してくれた。



こうして、僕らは会うことになった。

あのライブの日以来、約二か月の時を経て・・・。





























第9弾決意編、いかがでしたか?

そして、次章は遂に最終話です!

ここまで、続けて読んでくれた皆さん、本当にありがとうございました。

最終章、ぜひ期待して下さいね!






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