2014年10月22日水曜日
マスターの恋ばな① ー出会い編ー
今回はちょっと趣向を変えて、若き日の僕の恋ばなを小説風に語りたいと思います。
拙い文章ではありますが、興味のある方は読んでみてください。
話は、現在から25年前の1990年にまで遡る。
その年の三月、九州のある大学を卒業した僕は、翌四月、大阪のとある中堅メーカー会社に就職をした。
当時、これといった将来の夢も特になかった僕は、ろくな就職活動もせず、かと言って別段意図するところもなく、時代に流されるように、その会社に就職を決めた。
とは言っても、その会社は当時テレビCMもそこそこやる世間的にも名の知れた会社で、さほど裕福でないながらも、無理して大学まで出してくれた親の期待に応え得るには充分な会社でもあった。
この時代の日本と言えば、バブルと呼ばれた空前の好景気の真っただ中。
馬鹿みたいに土地が急騰して金持ちがビルを買い漁り、ボディコン姿のお姉さま方が扇子片手にお立ち台とやらで腰をくねらせていた、そう、あの時代。
昨今の就職難の学生にすれば考えられないくらい簡単に就職が決まってしまう、それは甘い蜜のような時代だった。
言い忘れたが、当時僕には大学4年の春から付き合い始めた、5歳年上の彼女、杏子がいた。
杏子とは、就職内定後にバイト先で知り合い、意気投合してどちらからともなく付き合うようになった。
彼女はOLで独り暮らしをしており、性格は優しく、努めて穏やかな女性だった。
裕福な家庭で育ち、見るからにお嬢様タイプといったところだ。
家事全般得意で、特に料理の腕前は格別だった。
これといった欠点も特に見当たらず、強いて挙げれば身体があまり丈夫でない、といったくらいだ。
彼女は年上らしく、まだガキっぽさを残す僕を優しく包んでくれていた。
そして何より僕自身、そんな彼女にどこか癒されていた。
僕らは、可能な限り同じ時を過ごした。
映画を観たり、旅行に行ったりと、それは幸せな時間だった。
だから、そんな二人の関係は、このまま永遠に続くかのようにさえ思えた。
しかし季節も冬になり、僕の卒業が近づくと、二人の関係は一転してその様相を変えていく。
次第にぎくしゃくするようになっていく。
そう、僕らはその将来について、一つの答えを出さなければならなかった。
僕らは、沢山の話し合いをする必要があった。
しかし、答えを出すのが怖かったのか、気付けば僕らは、あからさまにその話を避けるようになっていた。
それまで余りしたことのなかった喧嘩でさえ、些細なことでするようになった。
自然と、二人の時間は減っていった。
必然的に、いつまでたっても答えは出せないでいた。
時間だけが、ただ無情にも過ぎていった。
僕は悩んだ。
来る日も来る日も、悩み続けた。
二人にとっての最善の未来を、とにかく必死で模索していた。
そして迎えた、1990年3月28日。
ある決意を胸に秘めた僕は、深夜杏子の自宅を訪れた。
上阪を三日後に控えたその日は、奇しくも彼女が27回目の誕生日を迎える前日でもあった。
普通の恋人同士なら、誕生日を祝う話し合いにも充てられていい日だった。
でも、その夜の僕らは違った。
部屋の中は、瞬く間に重苦しい雰囲気に包まれた。
僕のただならぬ態度を既に察したのか、杏子も終始うつむき加減だった。
沈黙が続いた。
しかし、遂に覚悟を決めた僕は、非情な決意を持ってこう告げるのだった。
「ごめん・・・いろいろと考えたけど、遠距離恋愛はやっぱり難しいと思うから・・・二人の為にも、俺たち別れたほうがいいと思う・・・」
言葉を幾度と詰まらせながらも、僕は何とかそう言った。
そしてこれが、悩みに悩んで出した、僕の答えだった。
彼女の年齢のこと、将来に対する不安、本心はすべて心の奥底にしまっておいた。
二人の想い出を美化するためにも、僕は彼女と綺麗に別れたかった。
杏子が、すぐに僕に言葉を返すようなことはなかった。
ずっと黙ったままだった。
例えようもない沈黙は続いた。
しかし暫くすると、その沈黙を切り裂くかのように、杏子は静かに泣き始めた。
僕は少し驚きを隠せなかったが、やむなくその姿を見守ることにした。
だがその涙は、それからも激しさを増していくばかりだった。
僕は、次第に困惑していく自分を感じていた。
そしてさらに自分の感情に起こり得るある変化を、感じずにはいられないのだった。
「ごめん、俺が悪かった・・・」
気付けば、そう言っていた。
そしてひたすら泣きじゃくる彼女を、僕は激しく抱き寄せた。
彼女は黙ったままだった。
ただ静かに、僕に抱かれていた。
そう、僕は杏子を嫌いになったわけではなかった・・・。
だから僕には、どうしても杏子を見捨てることはできなかった・・・。
こうして僕の下した決断は、彼女の涙の前にあっけなく散ることとなった。
そして行先の見えない遠距離恋愛を、僕らはとりあえず始めることにした。
ただ、その答えが正しいかどうかなんて、無論その時の僕に分かる筈もないのだった。
そして3日後、再び号泣する彼女が見守る中、希望と不安の両方を抱えながら、僕は大阪へと旅立っていった。
23歳の春だった。
上阪した僕の住まいは、会社から電車、バスを乗り継いで50分程のところにある会社の社員寮だった。
周りは僅かばかりの緑の木々に覆われ、比較的閑静な住宅街の中にそれはあった。
遠くには山々も望め、都会の喧騒とは少しかけ離れた場所だった。
寮はクリーム色の鉄筋コンクリート造りで、5階建ての二棟が平行に並んでいた。
僕の部屋は、その南棟の3階に位置した。
間取りは和室の六畳一間。ベッド、洋服タンス、電話が備え付いていた。
部屋は思っていたよりも綺麗だった。
窓を開けると、晴れた日には心地よい日差しも差し込んできた。
さらにそこから吹き込んでくる風は、思いのほか気持ち良かった。
共同施設として風呂、トイレ、乾燥機付き洗濯機があり、娯楽施設として麻雀ルームやビリヤードルームがあった。
専属の調理師もいて、朝夕の食事も付いていた。
家賃は社員寮ということもあり、食事代を含めて3万円程度。
暮らしていくには、申し分のない環境だった。
ただ、共同風呂にだけはいい思い出はなかった。
今はすっかり完治したんだけど、そこで長年付き合うことになったあの忌まわしい水虫を貰ったからだ。
寮には、住み込みで雇われた年配の管理人夫婦もいた。
温かくて親切な二人には、随分とお世話になったものだ。
ただ、一つだけ問題があった。
管理人さんの存在によって、門限というものが発生してしまったからだ。
20代前半の若者に、0時の門限はやはりきつかった。
優しい管理人さんも、こと門限になると別人に変わった。
「管理人さん、ごめんなさい」
時効だから言うけど、裏口から出入りしたことは一度や二度ではなかった。
寮生は同期入社組を中心に、男ばかり百人ほど。
友達を作るのに、不自由はしなかった。
慣れない土地や環境での不安も、あっという間に飛んでいった。
親友と呼べる仲間も何人か出来た。
寂しい時には昼夜を問わず、よく寮内を徘徊したものだ。
必ずと言っていいほど、誰かを捕まえることが出来た。
まぁこんな感じで、僕の寮生活は始まっていった。
会社は、大阪のど真ん中にあった。
九州でも田舎の方の出の僕にとって、そこはまさにコンクリートジャングル。
四方を高層ビルに囲まれ、テレビの中でしか見たことのない世界の中に、それはあった。
中堅会社と言っても自社ビルを四つほど所有し、海外にも工場や研究所が幾つかあるといった比較的大きな会社だった。
駅からも近く、通勤性も抜群だった。
「頑張って、大学出しといてよかった」
田舎の両親が見れば、涙汲みながらもきっとそう言っただろう。
ただ、朝夕の満員電車やバスでの通勤は、その想像を超えていた。
田舎育ちの僕には、その経験というものが殆どなかったからだ。
早朝に、ウォークマンから漏れてくる音は耳障りだった。
夏場になれば、汗まみれの中年のおじさんとは自然と距離をとった。
雨の日になると、停留所に並ぶ無数の傘の群れには驚愕したものだ。
さらに、満員で無情にも止まらずに通り過ぎていくバスの後ろ姿には、いつも愕然としたものだった。
「これがずっと続くんだ・・・」
僕は吊革に必死に掴まりながら、そう自問自答を繰り返していた。
そして同時に日本のサラリーマンに、ただひたすら敬服もしていた。
新入社員の僕らは、入社式を終えると、同期同士の親睦を深めるため、短期間のオリエンテーションを行った。
同期は全部で三百人ほどいた。
大卒、高専卒、高卒、経歴は皆様々だ。
出身も同様で、北は北海道から南は鹿児島まで。
九割を男子が占め、女子を探すのはひと苦労だった。
「まいど」、「なんでやねん」
あちこちで飛び交う生の関西弁に、僕は訳もなく感動していた。
さらにそれは高級ホテルのどでかいホールで行われ、夜はそこに宿泊までした。
「バブルの賜物や」
僕はふかふかのベッドの上で、思いっきり高級感に酔いしれていた。
そのオリエンテーションを終えると、一ヶ月に及ぶ長い工場実習に入った。
工場は都心から少し離れた、郊外ののどかな田園風景の中にあった。
「気持ちいい・・・」
快晴の空を見上げながら、そう大きく深呼吸をした僕は、思わず自分の田舎を少し思い出してもいた。
しかし工場に一歩でも足を踏み入れた僕からは、そんな思いは瞬時に消え去っていた。
そこには、そののどかな風景とは真逆の、それは凄まじい世界が待ち構えていたからだ。
黙々と働く、年齢、性別、国境を越えた無数の人たちの姿がそこにあった。
さらにそこでのライン作業は、その想像を遥かに絶した過酷極まりないものだった。
こういった人たちに支えられて、会社は成り立っている。
僕は生まれて初めて、社会の厳しい現実をまざまざと見せつけられていた。
そしてその機械音だけが静かに鳴り響くの中、僕は流れに遅れないよう、とにかく必死だった。
辛い工場実習を終えて本社に戻ってくると、息つく間もなく1週間の営業実習に突入した。
チーム別に分けられた僕らは、初めにちょっとした営業の模範講習を受けた。
だが初めての体験に随分と戸惑う僕らは、名刺交換ですら満足に出来なかった。
それでも自分の名前が刻まれた名刺を手にした時だけは、ちょっぴりだけども感動もした。
講習を終えると、今度は実際に外に出て飛び込みの営業をやらされた。
だがその結果たるや、門前払いは当たり前のそれは悲惨なものだった。
「早う、出てけ!お前ら、邪魔や!」
辛辣な言葉を腐るほど浴びせられた。
気付くとそんな僕らは、静かで涼しい場所に逃げ込んでいた。
子供の頃に見た、クーラーに効いた涼しい喫茶店に入り浸るスーツ姿の大人たちと、今の自分の姿がダブって見えた。
僕は今までに経験したことのないような挫折感を、その時味わっているのだった。
そんな辛い営業実習も何とか終えると、九月末迄の長い実務研修に入った。
各技術部署を一定期間廻り、様々な業務を体験するといった研修だ。
配属先を決める上でも最も重要な研修で、上司も気に入った人材は欲しがるという話だ。
技術部は、設計、生産、情報、研究システムの4つの部署で構成されていた。
僕はその中でも、設計システムの部署を希望していた。
そこは会社の屋台骨を担う、各電子機器の設計を主に担当とする部署だった。
大学の専攻からも、僕は設計関連の仕事に就きたかった。
何となく入ったこの会社とはいえ、そこだけは譲れないものがあった。
だから設計システムの部署の研修だけは、他の部署とは比較にならないほど力も入った。
歓迎会の席では、性に合わないけど上司へのごますりも我慢してやった。
でもそれはあの辛い工場実習や営業実習に比べれば、本当に他愛ないことでもあった。
こうして僕は様々な実習や研修を体験しながら、社会人への階段を一歩づつ確実に昇っていった。
気付けばそんな僕も、少しだが関西弁を口にするようになっていた。
私生活の方はと言うと、就業後に仲の良い同期とよく飲みに出かけた。
カラオケにもよく通い、声を嗄らしては溜まった憂さを晴らした。
酒はあまり強い方ではなかったが、量は自然と増えていった。
その酒の肴は、専ら上司や先輩の悪口だった。
研修先の先輩に、強引に飲みに付き合わされることもあった。
為になる話もあったが、酔うと大体説教に変わった。
「先輩、そろそろ時間が・・・」
そういう時だけ、あの恨めしい門限を都合よく使った。
杏子との関係は、電話や手紙というかたちでそれなりに順調に続けていた。
とにかく淋しがる彼女は、毎日の電話を僕に求めてきた。
疲れていて正直面倒臭い時もあったが、最低限の償いだと思い、僕はそれに答え続けた。
ただ、僕の帰りが遅くなる度に、彼女の声は決まって一変した。
「今日はやけに遅かったね。何してたの?」
「いや、別に・・・。ちょっと友達と飲んでただけだよ」
理由を説明するのに、僕は少々うんざりしていた。
しかしそんなある日帰宅すると、玄関で管理人さんに大声で呼び止められた。
「大変だよ。今月の電話代、7万円超えてるよ」
僕はしばし、開いた口が塞がらなかった。
ここで、僕の話も少ししておこうと思う。
1967年の12月19日に、九州の片田舎に、ごく平凡な家庭の長男として生まれた。
海と山に囲まれた豊かな自然の中で自由奔放に育った僕は、放任主義の両親の元、随分とやんちゃな幼少時代を送った。
エピソードはいっぱいある。それは特に、両親が苦労して購入したマイホームに纏わるものがことのほか多い。
家の中でかくれんぼをしていて、屋根裏から天井の一部を破壊したこと。
屋根上で鬼ごっこをしていて、警察から厳重注意を受けたこと。
夜中に寝ぼけて、二階から転落したこと。運よく家庭菜園の上に落ちて、奇跡的に無傷だったけど。
それから、あわや大惨事の、部屋の中での焚火事件。
僕の品位にも関わってくるので、これぐらいにしておくが。
家には、小学校一年の秋に母親が職場から貰ってきた雑種犬のチロもいた。
チロとはよく散歩に出掛け、原っぱの上に大の字に寝そべりながら、空を見上げて将来の夢を描いていたものだ。
そんな僕の周りを、チロはいつも嬉しそうに尻尾を振りながら跳ね回っていた。
チロは、僕の心のよりどころでもあった。
地元の小、中、高校を無難に卒業した僕は、すぐに社会に出たくないこともあって、大学進学を選んだ。
とは言っても、勉強はあまり得意なほうではなかったので、高校三年の一年間だけは、もう人生でないというくらい死に物狂いで勉強をした。
その甲斐あってか、何とか無事に合格することが出来た。
自分で言うのもなんだが、結構努力家だ。
しかし悲しいかな、僕の大学進学と時を合わせるように、愛犬のチロは死んでしまった。
僕が家を去っていくのが、まるで分っていたかのように。
生まれて初めて、運命というものを実感した時だった。
性格を自らで分析すると、両親がずっと共働きだったせいか、責任感は割と強い方に育った。
その両親の仲はさほど良くなく、その点では現実主義者にも育った。
基本的には、根っからのプラス思考の楽観主義者ではあるが、意外と涙もろい面もある。
あとは大方の男性と一緒で、女性にはやたらと甘く、頼まれると断ることの出来ない性分。
特にこの性分のせいで、幾度と人生の転機を迫られたり、時には与えちゃったりもするんだけども、まぁその話は後ほどということで。
容姿もいたって普通で、別段モテるでもなく、たまに面白いことを言う程度の男だ。
取り柄と言ったら、健康で病気知らずといったところくらい。
「本当に優しいいい子に育った」
それでもうちの両親だけは、どこの親も言うようなこんなセリフをやっぱり言うだろう。
趣味はドライブ、映画、スポーツ観戦、旅行・・・と広く浅く。
車を運転するのが好きだったが、大学時代になけなしの金で買った愛車は、九州の杏子の元に置いてきたので、こっちで遊びに行く時は専ら助手席専門だった。
社会人になって新しく覚えた趣味といったら、競馬くらい。
だが刺激をこよなく求める僕にとって、それはもう最高だった。
恋愛で得られない刺激を、僕はそこに求めたのかも。
でも、儲かった記憶はほとんどない。
好きと現実では、やっぱり違う。
休日といえば、基本的に寝てるか、テレビを見てるか、友達と麻雀をしてるかくらいで、そのほとんどを過ごしていた。
遠距離恋愛の杏子に別に操を立てていた訳でもないが、合コンに誘われてもほとんど行かなかった。
どうしてもと頼まれて、仕方なく人数合わせで行った合コンで、思いのほかいい感じになった子も中にはいたが、意外と真面目な僕はあえて発展させるようなこともなかった。
大型連休には両親のいる実家には戻らず、決まって杏子の元に帰り、旅行に行ったりしてはそのほとんどを過ごしていた。
初めて彼女と出会ったのは、まだ残暑厳しい九月の初めだった。
その日、社員食堂で昼食を済ませた僕は、同期で同じ寮生の坂井君と中庭でくつろいでいた。
坂井君とは部屋も近く、同期の中でも特に仲が良かった。
彼は名古屋出身で、とにかく面白い奴だった。
トークが絶妙で、よく笑わせてももらった。
そんな坂井君とは、本気でお笑い芸人になることも考えたほどだ。
とは言っても、なかなかの爽やかボーイで、結構恰好良く、彼女がめちゃくちゃ可愛かったのをよく憶えている。
それは、そんな坂井君のひと言がきっかけだった。
「俺、今、設計システム6課で研修してんのやけど、庶務の子がめっちゃ可愛いんよ。よかったら、今から見に行かへん?」
坂井君はやたらとにやけた顔をしながら、そう言ってきた。
でも彼が言うんだから、これは間違いない。
「ホンマに?」
そう訊き返しながらも、僕の答えは決まっていた。
休憩もそこそこに、僕らは足早に彼女の元に向かった。
坂井君の後ろを付いて廻るように、恐る恐る僕は設計システム6課に入っていった。
初めて入る部署ということもあり、やや緊張を隠せないでもいた。
顔見知りでない先輩とは、自然と目を逸らした。
不自然に辺りを見廻すその姿は、あたかも不審者のようでさえあった。
その時だった。
「ほら、あそこ」
突然、坂井君が振り向きながらそう言った。
僕は、すぐさま彼の視線の先に目をやった。
すると、そこには、
黒々と光沢を放ったサラサラのロングヘアが一際目立った、ひとりの女性の姿があった。
衝撃的だった・・・。
スレンダーな躰に、スラっと伸びた細くて長い綺麗な脚。
そして、キュっとしまった足首が次に僕の目に飛び込んで来た。
さらには透き通るような白い肌、小顔にクリっとした瞳も印象的だった。
想像以上だった・・・。
僕の目は、いつしかすっかり彼女にくぎ付けとなってしまい、しばらくそこから離れることはないのだった。
彼女の名は、相沢優美。
当時僕より二つ下の二十歳で、一年ほど前に中途採用で入社。
その可愛さに、入社したその日から社内中で話題となり、男性陣の間では彼女の話で持ち切りだったと聞く。
何人もの輩が、我こそ先にとこぞって告白もしたらしい。
そんな溢れるほどの可愛さの中にも、まだ二十歳とは思えない大人の色気を存分に漂わせた彼女は、まさに小悪魔といった表現がぴったりで、とにかくすべてを兼ね備えた会社のアイドルだったのだ。
「めっちゃ可愛いやん・・・」
気付けば、坂井君にだけ聞こえるような小声で、僕はそう呟いていた。
そしてそれからも一向に飽きることなく、彼女だけをただ見つめていた。
すると、何とここで、彼女と目が合った。
彼女はあからさまに挙動不審な僕らを見て、静かに微笑んだ。
それから、小さく会釈をした。
僕は突然なことに、ただただ立ち尽くすだけだった。
「な、可愛いやろ。言った通りやろ」
呆然とし続ける僕に、坂井君が自慢げにそう言った。
その顔は、まさにどうだと言わんばかりだった。
「うん・・・」
その顔に少し嫉妬しながらも、僕はやっぱりそう頷いていた。
ここで、無情にも時間となった。
僕は後ろ髪を思いっきり引っ張られる思いで、泣く泣くその場を後にするのだった。
「ホンマ可愛かったなぁ・・・」
席に戻ってからも、僕は彼女のことを思い出していた。
彼女の笑顔が、しばらくは頭から離れないほどだった。
それくらい、彼女は僕にとって衝撃的だった。
だが悲しいかな、その日以来、彼女と接する機会はほとんどなかった。
会うことすら、稀だった。
奇跡的にすれ違うことが会ったとしても会釈を交わす程度で、多分僕のことは分からないと思う。
無論、あの時に見せてくれた笑顔も、二度と見るようなことはなかった。
そして彼女こそが、のちの僕の運命の人となることを、当然この時の僕が知る由もないのだった。
恋ばな-出会い編-、最後まで読んでくれた方、貴重な時間をありがとうございました。
仕事の合間を見て書いていますので、誤字脱字がありましたらお許しください。
また、続きを載せたいと思いますので、その時はよろしくお願いします。
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